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芸能記者(ペン&カメラ) 志和浩司

山本八重の一生 ある女優の覚悟

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HPyae-tirasi-omote文/志和浩司

タイニイアリスは好きな劇場のひとつで、昔の話になってしまうけれど、今の場所に移転する前はとくに足繁く通った。松尾スズキさんの「大人計画」を初めて観たのもタイニイアリスだったし、小野寺丈さんを初めて観たのもタイニイアリスだった。その他、ここで初めて観た劇団や俳優をあげれば、ちょっとキリがなくなる。

最近、そんなタイニイアリスと縁があるのだ。3月には友人であり仲間でもある葉月けめこさんに誘われ、「うわの空・藤志郎一座」の「TOKYOてやんでぃ」を観に行き、厚かましくも終演後の打ち上げにまで参加させていただいた。そして5月、やはりよき友人である女優・大場結香さんが出演する「山本八重の一生~語られなかったもう一つの真実~」(作・演出:伊木輔)が、ここで上演されたのである。行かないわけがない。

大場さんは、白虎隊の伊東(伊藤)悌次郎役。隣家の八重子に銃法の訓練を受け、慶応4年会津戦争に出陣、新政府軍に敗れ負傷した池上新太郎を助け、遅れて飯盛山にたどり着いたところ、すでに自決した同志の姿を見て自刃したとされている。その時、15歳。(以上、ディテールについては諸説ある部分も)

舞台にセットはなく、背景としては白いスクリーン(というより幕といった風情)に映像が映し出される程度で、役者の芝居が素のまま生かされている。物語が大きいので、生半可なセットを組むよりも、いっそのことセットを廃して役者の演技ですべてを紡いでいくというこの演出は正解のように感じた。

今回は、舞台はもちろんだが、それ以上にある意味、大場さんを観に行った。というのも、細かくは書かないが、この舞台に至るまでの大場さんの、苦労と呼んでいいものか、なんと呼ぶべきなのか、紆余曲折の一部を知る者として、しっかりと見届けたい理由があったのだ。

いずれにせよ、大場さんは新たなスタートを切ることができた。ご本人の芝居にかける情熱が、この舞台に立てたことで、演技の随所にほとばしっていた。悌次郎について細かく描かれた話ではないのだが、大場さんは悌次郎役がとても似合っていた。いや、実際の悌次郎(知る由もないが)と大場さんが似ていたとか、そういった意味ではなく、「大場さんの悌次郎」になっていた、という意味だ。タッパもあるので、黒い衣裳が映えていたし、彫りの深い顔だちが引き立つ、いいキャスティングだったと思う。そう思わせてくれたということは、大場さんがこの役に真っ直ぐ取り組んだ証だろう。

キャスティングといえば、舞台のキャスティングはさまざまな理由なり事情なりがあって決まっていくもので、それが外れると悲惨だが、決まると感動的でさえある。経過の是非や配役の理由なんてものは観る側には関係ないことで、結論から言ってこの舞台は、キャスティングがとても良い。役者の芝居だけでこの物語を紡いでいくことに耐えうる、完成度の高いキャスティングだ。たとえば幕末期の八重を演じた安藤志穂美は、場を引っ張れるだけの存在感を放っていた。どの角度から見ても、照明の下、表情がキラキラ輝いているのだ。それは演者としての立派な実力だ。そして演技力という意味では、八重の母親さくを演じた加藤玲子の芝居はとくに秀でていた。土方歳三役の山口快士は、役作りを意識して急激に体重を追い込んだのか、おそらくもとからここまで痩せていたのではないであろう頬のこけ方に説得力があった。山本覚馬を演じた中久木亮も良かった。「新撰組伝~沖田総司の一生~」では土方役だったそうだが、それも観たかったと思わせてくれた。

役者を生業にするからには、誰しも自分のために役者をやっているわけだが、その芝居はあくまで観客に向かっていなければならない。この舞台の役者の多くは、自分のためだけに芝居をしている役者にはたどり着けない境地を見せてくれた。

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Written by 志和浩司

2013/05/11 @ 5:42 pm

カテゴリー: 演劇

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