P R E V U E

芸能記者(ペン&カメラ) 志和浩司

「夢みるアドレセンス」に夢をみる

leave a comment »

画像

写真・文/志和浩司

「夢みるアドレセンス」という女の子6人組(うち1人は受験のためお休み中)のグループがある。12月16日に青山で新たな公演が行われたので観てきた。プロフィールについては以前、記事を書いたのでご参照ください。

http://listen.jp/store/musicnews_40696_all.htm

夢アドと出会った頃、実はアイドルというものに対して、非常に疲れを感じていた。ここ7年間ほど、いろいろなところでアイドルというジャンルのために戦いもしてきた。ある媒体では、女性アイドルはウチでは数字が取れないので取材にコストをかけるわけにはいかないからやめてくれと会議で偉い人たちに猛反対されたが、「このグループは絶対に当たるから取材させて欲しい。当たらなかったら責任をとるから」と周囲を説得し取材に通い続けた。カミさんにも、「仕事なくなったらどうするの?」と言われたが、「結婚なんて乗りかけた船だと思って諦めてくれ」とかなんとか滅茶苦茶なことを言って説得した。もちろん、そのグループは大当たりした。私はきわめて凡人だ。自信がないことに体を張る度胸はない。自信があったからこそ、命を賭けることが出来たのだ。

そんなふうに、私にとって、アイドル仕事は説得の連続だった。アイドルを認めない人たちがいつも周囲にいて、それを力づくで認めさせることの連続だったのだ。

そんなこんなに、疲れを感じていた。

そこに現れたのが、夢みるアドレセンスだった。

夏に初めて彼女たちの公演を観たとき、ものすごく懐かしい気がした。ずいぶん以前に、似たような気持ちになったことがあるような…。

音楽プロデュースをしているのが上杉洋史さんだと知り、納得がいった。かつて上杉さんが表現する世界観に、ことごとく魅せられてきた。生まれたてのAKB48劇場で初めて「桜の花びらたち」を聴いたとき感じた、郷愁。AKB以前から、上杉さんの創る曲にはかならず魅了されてきた。伝わるのだ。その世界観の中に表現されているもの…風や光や空気の温度さえも、感じとれる気がする。目をとじて手をのばせば、そこにある風景にふれることができるのだ。

そのうえ、夢アドのメンバーたちからは、それまでのアイドルからは感じられなかったセンスの良さ、品の良さを感じた。ほとんどのメンバーがファッションモデルの経験者と聞いてセンスの良さには合点がいったが、私が感じたセンスの良さはファッション面だけではない。自分をどう見せるかということに対しての意識の高さ。表現することへの欲求の強さ。

プロデュース側がどう考えているのかはわからないし、今後どう変わっていくのかもわからないが、最初の公演は表参道で、新公演はどこでやるのかと思っていたら青山迎賓館近くの「月見ル君想フ」が使われた。

ロケーションは大事だ。

ファンにとって、待ちに待ったアイドルと公演で会えるその日は、家を出る時にはすでにすべてが始まっている。どんな街を歩き、どんな会場で会うかは、いわば大切な人とのデートコースだ。

夢アドの会場には、女性ファンの姿も目立つ。モデルである彼女たちのファンなのだろうか。だとすればなおさら、会場のロケーションは大事だ。

古い話だが、昔、UWFというプロレス団体があった。UWF(第二次)は、それまでのプロレスでは使われなかった新しい会場で次々と興行を打った。有明コロシアム、東京ベイNKホール、横浜アリーナ…おまけに場外乱闘などの野蛮なシーンをすべてなくしたので、女性ファンが増えた。リングサイドに、おしゃれな女性が並ぶようになった。どんなハコを選ぶかで、客層はガラリと変わる。

アイドルに疲れきっていた頃、表参道で出会った夢アドの心地よさは、私の気持ちをもう一度、アイドルへ向けさせてくれた。

戦略も方針もあるのだろうから、今後の夢アドがどういう方向へ向かうのかは想像できないが、以前、関係者から「志和さんの書く記事はノーブルで…」と言われたことがある。否定的な意味ではなく、そのことをほめてくださったのだ。

ああそうだったか、そういう文章を書いてしまったか、とそのとき思った。アイドルをノーブルに書いても意味はないのかもしれないし、もしかしたらプロデュースする側にとっては迷惑なのかもしれないが、悲しいかな、私は私の感性で物事を見て伝えるしかなかった。その結果が、ノーブルな文章だったということだ。

たぶん私は夢アドに、他のアイドルにはないノーブルな部分を発見し、そこに感応したのだろう。

ただし誰もがそういうところに感応するわけではない。人によって、感受性はまちまちだ。だからプロデュースは難しい。

でも、私は今後も夢みるアドレセンスを私なりのスタンスで、伝えていきたいと思っている。

いや、誤解なきように言っておくが、彼女たちはけっして何か、気取っているわけでも、お高くとまっているわけでもない。むしろ逆だ。

荻野可鈴なんて、ツイッターにも書いたけれど、まるでスプリングの仕掛けられたファッションドールみたいにキュートではじけていて、ステージでのムーブを見ているだけで楽しくなってしまう。最年少の京佳ときたら、これはもう可愛さのメーターが振り切れている。でも、ちょっとしゃべらせると意外と大人の顔をのぞかせたりして、そのギャップがまた可愛い。志田友美にしても、山田朱莉にしても、小林玲にしても、お休み中の岡美咲にしても、それぞれに個性的だが、みんなファンと近しいし、MCなんかもざっくばらんで親しげな印象だ。学校の教室や廊下での会話とたいして変わらない雰囲気なのだ。だから、私などがいちいち美化して書いたら、彼女たちは「私たち、こんなんじゃないよ!」なんて、たぶん笑ってしまうだろう。

かと言って、私は自分が的外れなことを感じているとも思わない。

そんなふうに無邪気でアドレセンスな女の子達に、なぜ私はノーブルなイメージを重ねてしまうのか、今夜は月でも見ながらその理由について考えてみようかと思っている。

広告

Written by 志和浩司

2012/12/17 @ 9:02 pm

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。