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芸能記者(ペン&カメラ) 志和浩司

ジョン・レノンは天のオヤジに会っているか

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街中には、ほのぼのとしたクリスマスムードがただよっていた。学校は大学受験だ進路相談だで基本的に休み、もはや登校日はごくわずかに限られていた。私は日大の付属校にいながら芸術学部を目指すのではなく写真学校へ行くことに決めていたから、進路問題で思い煩うこともなく、その日ものほほんと愛用のカメラを手に写真を撮りながら、ある場所へ向かっていた。

高校3年生、1980年12月9日、火曜日の話だ。

向かった場所は、市川(千葉県)にあるカトリック教会。コンビニで買った「週刊プレイボーイ」に、小さな記事ではあったが、大バチカン展の仕掛け人として、一人の神父の話が載っていた。塚本金明(つかもと・きんめい)という、老境に入ったその聖職者と、私はどうしても会いたくなった。その記事を見た瞬間、なぜかグラビアのネエちゃんはどうでも良くなってしまったのだ。

午後の早めの時間、初めて訪れるカトリック市川教会にたどり着き、庭をうろうろしていると、司祭館からローマンカラーの黒いキャソックを着た小柄な老人が飛び出るように現れて、「こっち、こっち!」と手招きをした。銀灰色のラウンド髭も品のいい、塚本神父様だった。

司祭館に通されると、お茶とお菓子でもてなしてくださった。この時、史上初のローマ教皇来日が決まりかけていた時期だったし、それにあわせるように年明けに大バチカン展を開催するなど、日本のカトリックは盛り上がっていた。なにせ「週刊プレイボーイ」が取り上げるぐらいなのだから。塚本神父様は、若い頃ローマの教区にいたので、バチカン展の日本側の実行委員に選ばれたらしい。週プレの記事も、この方がいなければバチカン展が実現することはなかったというトーンで書かれていた。

私は母方がカトリックの家系だったこともあり、バチカン展の話を聞く際、予習しておいたカトリックのそれらしい話をいろいろと持ち出したのだが、神父様はそんなにわか知識をいなすように、神様のことを「キリスト教の神様というのは、要するに天のオヤジなんですよ。天にオヤジがいると思っているおめでたい信仰なんです」と笑って説明する。実際はかなりインテリな方なのだが、話は一切難しくない。あまりに軽妙で、時間を忘れていろいろなお話を聞いた。「人は死んだらどうなるんですかね?」…そんな質問にも、実に軽く答えてくださるのだった。「死んだらどうなるかなんてことは、誰にもわからないですよ。だけど、天にオヤジがいるんだと思えば、とても安心でしょ」

日が傾き始めた頃、またお会いいただく約束をして、教会を後にした。 名残惜しかったが、私にはそのあと会う人がいたのだ。

夕方、京成小岩駅近くの喫茶店で、当時お付き合いしていた一学年下の恋人と待ち合わせていた。店は小さなビルの2F、階段を勢いよくのぼった。 いや~、今日は面白い人と会ったぜ!と話を切り出そうと思っていたのだが、目が合った瞬間、表情が異様に暗いのだ。何か重大なことでもあったのか? 心配しながら席に座ると、思いがけない言葉を聞いた。

「ジョン・レノンが撃たれて…」

鋭利な凶器でも突きつけられたみたいだ。脳内のシナプス発火のバランスが混乱してしまいそうだった。「え!」とも「う!」ともつかない声を漏らして、私はただ、次に続けるべき言葉を探した。全身が乾ききってしまったような、妙な感覚に襲われて、ウェイトレスが持ってきた水をまず飲みほした。

洋楽を聴くようになった時、ビートルズはすでにフィクショナルなアイコンだった。どんなに音楽を聴いて気に入っても、当時はインターネットはもちろんなかったし、ビデオも普及していなかったので、リアルなビートルズのイメージを手繰り寄せる術に乏しかった。グレーテストぶりが語られれば語られるほど、ビートルズを体験してみたくなるのだが、もはやビートルズは過去にしか存在しない。物理的にふれることのできるビートルズの実体は、レコードの紙ジャケットや秋葉原の石丸電気でおまけにもらうポスターぐらいだったし、身近なトピックといえば、ポール・マッカートニーがその年の1月にウイングスを率いて来日した途端、成田で大麻取締法違反(不法所持)により現行犯逮捕されて全公演中止、チケットを買っていた友達が落胆したことぐらい。

それでも11月になりレノンが5年ぶりにスタジオレコーディングしたアルバム「ダブル・ファンタジー」がリリースされると、自分の中でおぼろげだったビートルズのイメージが徐々にコントラストを増してきた。50年代のロックンロールを80年代風にアプローチしたという「スターティング・オーヴァー」は、私にとってはちょうどビートルズを過去のものとして割り切って捉え、それを踏まえたうえで、先へ進み行くレノンなりマッカートニーなりジョージ・ハリスンなりリンゴ・スターなりの音楽を聴くリスナーとしての覚悟みたいなものを植えつけてくれた。先が明るくなったぶん、過去もいい感じに照らされたような気がした。私も恋人もそれぞれに「ダブル・ファンタジー」を買い、感想を語り合っていた。たとえば私は、篠山紀信が撮影したジャケット写真がちょっとあざとい気がするとか、「キス・キス・キス」でヨーコの扇情的なセリフやあえぎ声がフィーチャーされていることの是非を論じ、恋人は、「ウーマン」はすてきな曲で毎日何回もリピートしている、というような、どうでもいい話で盛り上がっていた。

その矢先のことだったのだ。

2人とも、とりたててビートルズのファンというわけではなかったし、レノンが好きというわけでもなかった。私はどちらかといえばジョージ・ハリスンのほうが好きだったし、当時興味の中心はビートルズを経てジェネシスはじめプログレ系に流れていた。恋人はAORが大好きだった。だけどレノンの死は、そんな高校生バカップルにも十分すぎるほど強烈な出来事だったのだ。

レノンのことなんてたいして知らないくせに、私たちは2時間も3時間も、無我夢中で話し続けた。

レノンがいなくなった。

レノンが死んで、どこへ行ったのかなんて誰にもわからない。

だけど、残された私たちがどうなったのかは、よくわかる。

レノンがこの先つくっていくはずだったものの一切が、消えていった。

ファンが衝撃を受け、ファンが悲しむのは当然だけれど、そのことが、こうして私のようなファンでもない人々の気持ちにまで、ぽっかりとブランクをつくる。

スター扱いされている人はとても多いけれど、限られたファンのために限られたものを提供して生き続けるスターのなんと多いことか。

愛と平和が人を選ばないように、本来、ショービジネスにおいての表現とはごく限られた理解者に理解してもらうためのものではないはずだ。

何かを感じさせ、何かをその人の日々に残す。時には、価値観を破壊させ、生き方の設計図さえ書き換えさせてしまう。

だからこそ、いなくなった時に、はじめてその価値のとてつもない大きさを知る。

スターとは、そういう人を指す言葉ではなかったかと思う。

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Written by 志和浩司

2012/12/08 @ 8:06 pm

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